理化学研究所 脳科学総合研究センター(理研BSI)
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脳科学の人 研究者インタビュー

20年前の私気分だけは研究者を目指して

沼津の海岸にて
沼津の海岸にて

 私は静岡県の沼津市で生まれ育ちました。伊豆半島の西側の付け根にあって人口自体は割と多い市なのですが、広さもそれなりで、実家はその端っこなものだから適度な田舎だったと思っています。今は少し様変わりしましたが、近くに川や大きな池もあり、道を挟んで家のすぐそばから富士の裾野へと続く森がはじまっているような所でした。それでいてすぐ近くではないにしても海にも行けましたし、夏はそれほど暑くもならず、雪は滅多に見ることのないおだやかな気候の中、のほほん、と育ちました。

 そしてその頃の生物とのふれあいが現在の研究の……というべきなのかもしれませんが、実際には、大学進学にあたって自分に何か創造的なことが出来るとしたら学術研究かな、とは思っていましたが、受験で生物は選択しませんでしたし、思い描いていたのは物理学者でした。

 大学では周りの多くが研究者志望でしたのでそういう道へというのは自然なことでしたが、分野を生物学としたのは3年進級時の専攻を選択する時でした。大学で触れた物理学は歴史のある学問なだけあって最先端までたどり着くのが大変そうで、またもしそこまで行けたとしても未知の部分が狭くて険しそうに思えました。それに比べて生物学は分かっていないことだらけで、特に理論体系化されたものなんて現在でもあまり無いような状態ですから、自分にも新しいことや大きなことができそうな気がしたのです。それにそもそも授業にほとんど出なかった私は、数学や物理学はもちろんのこと、有機化学も熱力学などもからっきしで、生物学科以外に選びようもなかったのですが。

 その後も気分的には研究者を目指しながらも現実には不勉強で、京都大学の大学院の試験に落ちてしまいます。残念ではありましたが、知識や技術があまりにもない自分を鍛えられそうな研究室はどこにでもある、とも思っていたので、その後に受験できた他の大学へと進学しました。ただそこで待っていたのは、まず教授が帰るのが午前0時で、以下研究室スタッフ、大学院生の先輩の順で、私達は午前2時より前にはなかなか帰れないような、周りの研究室から「あまり絞りすぎるとおかしくなる学生が出るんじゃないの」と言われても「大丈夫、うちの学生に窓枠を乗り越えられるような体力は残っていないから」と答えるような研究室で、それまで最小限の努力しかしてこなかった私にとって、鍛えられるといってもまず根性を鍛えられるところから本格的な研究人生が始まりました。

憧れの人ニールス・アーベル

 高校生のみなさんにとって、特に理系の方にとっては二次方程式の解の公式は毎日のように接するものだと思いますが、より高次な方程式の一般解について考えてみたことはあるでしょうか。命題そのものとしては分かりやすく、近代(ヨーロッパ)数学の原点みたいなものですが、三次、四次方程式については16世紀に相次いで解かれました(ちなみに私がついて行けるのはここまでで、高校までの数学で理解できます)。ところが五次になった途端にハタと立ち止まってしまいます。四次と五次の間に見た目に明瞭な差はないし、難度は高いかもしれないがこれまでどおり行けるはず、と挑むのですが、どうにも上手く行きません。300年近くにわたって数学者たちを悩ませ続けたこの命題に終止符を打ったのがアーベルで、その答えは「五次以上の方程式の(代数的)一般解は存在しない」というものでした。

 研究の世界にいて、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、100を101にできれば充分有能な研究者だと思っています。また、それまでにない画期的なことをすることをよく「0を1にする」なんて言いますよね。でも私がこの話で気に入っているのは(私の感覚では)「0を−1にする」みたいなところです。マイナスと言っても もちろん劣っているということではなくて、方向性が逆という意味で。周りが皆、表から行って上手く行かないことを、一人だけ裏から透かして見て解決するような感じがいいですね。

 ただそれは象徴的な意味での話で、実際にはラグランジュやガウスなどの研究が礎となっており、さらにその研究も以前の研究を踏まえていて、それまでの300年は無駄ではないのです。どんなに画期的な研究成果でも先行する知見はあるもので、究極的に0からということはありませんし、そういったものを次世代に積み上げて紡いでゆくのも研究の重要な要素だと思います。またその意味で、何かを成すということと時代との巡り合わせも大切です。

好きだった教科数学、物理学

 正直に言うと特に高校の授業は、どれもあまり好きではありませんでした。中学くらいまでは体育や美術、音楽のような授業の方が成績は別として好きでした。高校ではそのような教科が大きく減った課程になり、更にそれ以外は大学入試で高得点を取るためのものという意味合いが強くなる中で教科そのものに興味を持つことは難しかったように思います。

研究論文はもちろん英語で執筆します
研究論文はもちろん英語で執筆します

 それでも数学と物理学は頭の中で考えて組み立ててゆく要素が大きい分、知識を問うタイプの教科より私にとって面白味を感じるものでした。成績もそういったことに準じていて、例えば国語では現代文はまあまあでしたが、古文漢文は駄目でした。駄目な方の一番は英語でしたが、辞書や教科書に答えが載っているようなことは、本来それを見ながらやれば良いことで、それを詰め込むなんていうのは頭の使い方として上等でない、と思っていたのでその成績の傾向が変わることはありませんでした。

 そして現在。学術研究の成果は全世界に理解されるものでなくてはいけませんから、学会発表も論文も英語ですし、外国人研究者とも英語で会話やメールをします。またBSIの公用語は(残念なことに)英語です。それはもう毎日が四苦八苦の連続で、ああ、あの時のはただの言い訳だったのだと身にしみて思っています。

脳科学に進んだきっかけ全ての道は脳科学に通ず?

 大学院から数えて現在が5つ目の研究室なのですが、ほぼその度にテーマが変わっています。私はずっと脳科学に関わっていたのではありませんが、現在が初めてではなく、大学院の博士課程では中枢神経の再生をテーマとする研究室に所属していました。その後10年ほどしてまた脳科学研究に戻ってきていますが、それは単なる偶然ではなく、脳は高等動物のほぼ全ての生体機能につながっていて、感情や思考といったものまで司っていますから、生物現象に関わることを突き詰めてゆくと脳科学には出会いやすいのだと思います。また今取り組んでいる研究で言えば、初期の頃から脳科学への応用を意識していたのですが、それは同じことをするのなら最も未知で重要性の高いものを研究対象にしようと考えたからです。そういう意味でも脳神経系はその第一候補なわけです。

 今の研究以前にも神経管形成のような、脳科学とは言いにくいんですが、でもそれに近い研究テーマもありましたし、生物学を長くやっていると、直接関わりのないようなことをやっていても引き寄せられてくるのが脳科学かな、と思います。

脳科学の面白さ混沌にこその規則性を求めて

 研究は混沌に目鼻をつける作業ですから、繰り返しになりますが、複雑で曖昧で未知な部分が多い脳というのは魅力的で、その神秘を解く時の達成感や充実感は大きなものがあると思います。

 何億という神経細胞が各々何万という接続点を持って形成している脳神経回路ですが、その構造の個体(個人)差はそれ程大きくはありません。もちろん学習や記憶は人それぞれですが、それは微調整程度だと思います(専門家の方ごめんなさい)。膨大な数のものが膨大な数の接続を相互にしているにも関わらず、その組織が全体として再現性良く形成されるにはしっかりとしたルールが必要な気がします。現在の研究を通じてそういった新しい法則性が現れてきたら嬉しいですね。

クリスマスツリーのようで綺麗なのですが、残念ながら研究データとしては失敗作
クリスマスツリーのようで綺麗なのですが、
残念ながら研究データとしては失敗作

 日々の研究で面白いと思っていることは「光りもの」を扱っていることです。紹介したもの以外にも色々な蛍光蛋白質を扱っていて、色とりどりの蛍光が暗闇に浮かび上がる様はいいですね。また私の今やっていることでは明るいものの方が良いのですが、検出限界ギリギリの儚げな光もいいですね(結局そのサンプルは捨てますけど)。狙った通りのシグナルパターンが映し出されると、それは美しいって思います。その光景は闇夜に舞う蛍にも似た趣だと思うのですが、ただちょっと嘘なのは一般的な科学用語の定義では「蛍の光」は「蛍光」ではないんですよね……

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