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第7回 脳研究の意義

将棋棋士 羽生 善治名人 (王座・棋聖)

筆者近影  シンセサイザーを開発し、「二十世紀のエジソン」とも呼ばれているレイ・カーツワイル氏はこのままテクノロジーが加速的に進歩をして行けば2020年には一台のコンピューターが一人の人間の知性を凌駕すると発言をしています。
 当然ながら反対の意見もあるでしょうし、集積回路の限界も近づいて来ているので、飛躍的なブレイクスルーがあるかどうかは未知数です。
 しかし、一つの可能性として、方向性としては実に示唆に富んだ言葉だと思っています。人間とは何なのか?その定義とは?脳の構造、進化の実体は?という事を遠くない将来に厳密に決める時が迫りつつあるのでしょうし、それは机上の文章としてではなく、実用的で普遍的でなおかつ道義にもとづいたものになるでしょう。
 特に医療の世界などでは現実と法律のひずみが大きく、脳の研究が進み、ギャップが埋まる事を期待しています。
 火を使うようになった事、印刷技術が出来た事、鉄道が出来た事などは人々の生活を大きく変化をさせました。
 しかし、脳の研究が進んで解明されて行く事は全く次元の違う話だと考えています。
 なぜなら、他の発明はすべて外側の出来事で根本的には大きな変化ではないからです。
 "灯台下暗し"という言葉がありますが、毎日毎日絶え間なく使い続けているのにもかかわらずそのプロセスが未開なのはとても興味深い事だと思います。
 そして、それは最後に残された広大なフロンティアなのではないかと感じています。
 コロンブスが新大陸を求めて海を渡ったのも遠い昔の話で、現在は世界中のほとんどの場所を地図で知る事が出来ますし、携帯電話一つあればその場所へ行く最短のルートも教えてくれます。
 確かに便利になり、快適になったはずなのですが、それと同時にある種の淋しさを感じるのは私だけでしょうか。
 将棋の世界も定跡化、情報化、体系化が驚異的なスピードで進んでいます。
 その流れは今後も恐らく変わらないのではないかとも思っています。
 ただし、それが全てではなく違うアプローチも時には必要なのではないかとも感じていて、ある種のバランス感覚が求められている気もしています。
 しかし、"多勢に無勢"で現実的に大変は一面も含んでいますが・・・。
 また、その時に鍵となるのが美しさの定義だと思っています。
 美しさは時代背景によって異なる面もありますが、歴史に残る絵画、建築物は万人の心を打つものがあります。
 詳しいバックグラウンドを知らなくても共通の理解、感動を与えてくれます。
 10代の時、江戸時代の天才、伊藤看寿、伊藤宗看の作った詰将棋には強烈なインパクトがありました。
 科学の研究、進歩についても美しく、かつエレガントであってほしいと願っています。
 特に脳の研究に関して言えばそうならないと自己否定につながってしまうので・・・。
 将棋の世界ももちろん同様で、今後どのような鉱脈を見つけて行くのかが大切だと思っています。
 正にそれは広大なフロンティアを探す作業となる訳で、和室で着物を着て対局をしている姿は何百年もかわっていませんが、実体は大きな変化の中にある、というのは科学の研究の世界と最も共通をしている部分なのではないでしょうか。
 今後も理研との協調、コラボレーションを大きく期待をしています。

 
 
独立行政法人 理化学研究所 脳科学総合研究センター 将棋思考プロセス研究プロジェクト(将棋プロジェクト)