ホーム > エッセイ

プロジェクトエッセイ:プロジェクトに携わるメンバーからの新規記事やエッセイなどをご紹介しています。

第1回 棋士の思考

将棋棋士 野月 浩貴 七段

 理化学研究所、富士通、日本将棋連盟による、「将棋における脳内活動の探索研究」に被験者として携わらせていただいて、もう数年になる。
 テーマは主に、直観思考についてだが、この実験に参加するまで、直観という言葉はあまり耳にしたことがなかった。
 棋士にとって「ちょっかん」と言えば、真っ先に「直感」の文字が頭に浮かぶ。
 棋士の直感とは第1感とも言い、将棋の局面を見たときに、今まで修行から身に付いた記憶や経験で浮かぶ手のことを指す。
 1手しか浮かばないこともあれば、2~3手浮かぶこともある。この第1感を精査して、正しい手を導いていくのが、「読み」と言われる作業となる。第1感と読みの連続により、先の先まで局面を頭の中で進めていくのだ。
 瞬間的な判断により行われる直感だが、実験のテーマである直観とは微妙に違う。
 自分が実験で良く行うのは、fMRIと呼ばれる、超高性能のMRIの中に入る。
その中では、頭を固定された状態でゴーグルのような物を付けて、そこに映った物を見て、ボタンを操作するのだ。脳の実験と言うことで、見せてくれる時間は0.5秒とか、短いときは0.2秒しかない。一瞬で目に焼き付け、瞬時にボタンで判断した結果を反映させるのだ。前述したように、ゴーグルに映った物を、前と同じ形であったり、将棋の図面ならば規則的に正しい形なのか、どの駒がどこにあったのかなどを判断するのだが、見て認識、記憶できるかどうかのギリギリ最低限の時間しか与えてもらえないのだ。
見る→記憶する→判断する、の工程が、ギリギリであれば余計な情報が混ざることなく、脳の活動が分かるという。
そのときに流れる血液の行方こそ、脳の活動を示している。脳のどこの分野に血液が流れて、どこで判断されているなど、細かいことが見えてくる。科学の神秘でもあり、人間の神秘でもある。
棋士は持ち時間を使って考えるとき、盤を見ていないことが多い。目を閉じて、視界を封鎖して集中する棋士や、窓の外をぼんやり見ながら考えたりする棋士など、様々な方法で、自分の考えやすい環境を作っている。
特徴的な仕草には、読み筋をとことんまで読んで、ある程度の結論を出した後、その順を1から読み直すときには、上を眺めていたりする。これらの動作は、脳の使う場所によって、その状態が最適な状態なのだろうか?
棋士とアマチュアの将棋愛好家では、情報を見て、判断するまでで、脳の使う場所も違うという結果が出ている。棋士特有の思考回路、トレーニングが、脳の行動に影響を与えている可能性もある。
自分は脳の知識はほとんどない素人だが、実験に秘められた可能性を、被験者として参加することにより、一緒に解明しているような感覚に陥ってしまう。楽しみでならない。

棋士として必要な脳の働きは、
① その局面での状況判断。
② 定跡や詰みのパターンなどの記憶。
③ 詰みを読む数学的な思考。
④ 序盤から終盤までの構想力。
⑤ 複数の変化から最善の選択。
⑥ 制限された時間の中での決断。
⑦ 読むための集中力。
⑧ 勝ちたいという強い意志。
⑨ 個人としての特色を指し手に注入。
⑩ 精神的な迷いを強い意志で乗り越える力。
⑪ ①~⑩までを連結させる能力

などが挙げられるだろう。④の部分では
詰みの局面を先にある程度想定して、その形に向けて指し手を進めていく、「逆算式」の方法を取り上げることも多い。
 ⑩は人間ならば誰しもが葛藤として抱える部分で、対局に行く前は「今日は本当に勝てるのかな?」とか、対局中は「ここまで頑張ったから負けてもしょうがない」とか、「いやそうじゃない、絶対に勝つんだ」とか、局面以外でも様々なことを考えてしまう。
 不安や恐れは、脳のどこから沸いてくるのだろうか?自信と前向きな気持ちだけにならないものだろうか。
 この実験は脳だけではなく、人工知能の分野にも役に立つということなので、実験に参加しながら、今後の可能性について、楽しみながら見守っていきたい。

 
 
独立行政法人 理化学研究所 脳科学総合研究センター 将棋思考プロセス研究プロジェクト(将棋プロジェクト)